「どんな音楽が好き?」への回答とCDショップ時代の回想
2018.02.10
普段から「趣味は音楽」で「元CD屋」であると公言していると、よく聞かれるのが「どんな音楽が好き?」という質問です。
特に音楽好きだと公言していない人でも聞かれることの多い質問だとは思いますが、そのくらい話の取っ掛かりとしては定番の話題ですね。
しかしこの質問、音楽好きであればあるほど、何と答えるか迷ってしまうのではないかと。「私はロック!」「俺はレゲエ!」みたいに単純にはなかなかいかないものです。
詳しく答えようとすると長くなってしまうし、でも好きだからこそ適当なことは言いたくない……。
このように、返答が難しいにもかかわらず定番の質問であるということは、やはり「人の好きな音楽を知ることは楽しい」という面が、確かにあるからなのでしょう。
質問する側の心理としては「自分の知っているジャンルやアーティスト名が出てきたら嬉しい」みたいな部分もきっとあるはずです。おそらく自分も、例えばちょっと気になっているアイドルのプロフィールページに「好きな音楽:エグベルト・ジスモンチ」などと書かれていたとしたら……? きっと一発でファンになってしまうに違いありません。
ここはブログです。
会話の流れを読んでその場ですぐに回答する必要もなく、ゆっくり好きなだけ書ける場所ですので、いろいろと書き並べておけば、中には読んで面白がってくれる人もいるかもしれません。知っている名前を見つけて「ガッテンガッテン!」とボタンを押したくなる人もいるかもしれませんね(いてほしい)。
そして何より、音楽関連の記事が多いブログですので、ある程度、どんな趣味の人が書いているのかは明らかにしておいたほうがよさそうです。
というわけで、自分がこれまでに好きで聴いてきた音楽をゆるゆると振り返ってみたいと思います。
Contents
はじまりはビートルズ
娯楽の多くが禁じられた家庭(詳しくはaboutページに)だったため、子供の頃は同時代のJ-POPのヒット曲なども全く知らずに育ちました。最初に音楽に夢中になるきっかけになったのは、英会話のラジオで流れたビートルズです。
曲は「イエロー・サブマリン」。
ここで「レット・イット・ビー」とか「ヘイ・ジュード」だったらカッコ良かったのですが、まさかのイエロー・サブマリン……とにかく、ハマりました。
それ以来、ラジオをチェックしてビートルズの曲が流れるとカセットに録音して集める日々。市立図書館でビートルズ関係の本を片っ端から借りて読みふけり、歴史を学びました。
当然、両親の考えでは「ロックは不良」であり禁じられるべきものでしたが、洋楽であれば「英語の勉強になる」という言い訳ができたことは重要なポイントです。
講談社文庫『ビートルズで英語を学ぼう』|講談社100周年記念企画 この1冊!
念願の「CDラジカセ」を手に入れて、人生で最初に買ったCDは、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』でした。
当時はまだ赤盤・青盤もCD化される前で、『1』のようなベスト盤も出ていなかった時代。なぜ『サージェント・ペパーズ』だったかと言えば、図書館で読んだビートルズ本の多くに「最高傑作」と書かれていたから。何度も聴きました。
スタート地点がビートルズだったので、そこから広がって好きになったのも、自分が生まれる前の1960~70年代の音楽、いわゆるオールディーズが中心。サイモン&ガーファンクル、モンキーズ、ビーチ・ボーイズ、エルヴィス・プレスリー、カーペンターズ、エルトン・ジョン、etc…中学時代に主に聴いていたのはそのあたりです。
FMラジオを聴く習慣ができたことで、少しずつ同時代の洋楽ポップスなども聴くようになっていきました。
ヴァネッサ・パラディの「Be My Baby」が、自分にとって最初の「アイドル」だったかもしれません。
ペット・ショップ・ボーイズの『Very』も当時の思い出の1枚。大好きでした。
バナナになる
同時期に、やはりFMラジオをきっかけに好きになったアーティストが、シンガポールのシンガーソングライター、ディック・リー(Dick Lee)。
なぜいきなりアジア? という感じですが、ちょうどその頃、アジア各国のポップスが日本に紹介され始めてちょっとしたブームになっており、ラジオでもよく流れていたのです。
そのディック・リーのヒット曲に「バナナ」というものがあります。
西洋化されたシンガポール人のアイデンティティーを「外は黄色いけど中身は白い」というユーモアで表現したもので、子供心に自分はそれに大きな衝撃を受けたのでした。
洋楽ばかり聴いている日本の田舎の中学生……自分もまたバナナではないか。
ディック・リーは、アジア各国の伝統音楽の要素と現代的なサウンドをミックスして、新しいアジアのポップスを創り出そうとしていたアーティストで、今聴いても面白い作品が多いです。
Dick Lee FRIED RICE PARADISE – YouTube
最近は映画監督などもやっているようで、2017年の夏には22年ぶりの来日公演も行っています。早めに知っていれば観に行ったのに…涙
今になって思えば、のちにワールドミュージックにハマる下地が、この時点ですでに作られていたのかと感慨深いものがあります。
ブリットポップと渋谷系
同時代のロック&ポップスを聴くようになり、最も大きく影響を受けた時代の流行といえば、イギリスのブリットポップと、日本の渋谷系でした。
ブリットポップとは?
ブリットポップ(Britpop)とは、90年代イギリスにおける一種のバンドブーム的な動きで、音楽的には特に60~70年代ロックの影響の濃い、英国的な要素を強調したバンドが次々とデビューして人気を集めました。その中心にいたのがブラーとオアシスです。ライバル関係にあった両者は、同日にシングルをリリースしてNo.1を争うなど、音楽以外の部分でも話題が豊富で、日本の田舎の高校生だった自分も「ロッキングオン」などの音楽雑誌を通してそういった動きを追って楽しんでいました。
ブラーもオアシスもCDを買ってよく聴いていましたが、その他に当時ヒットしていたグループで好きだったのが、ブー・ラドリーズ(The Boo Radleys)です。
日本ではTVで使われた「Wake Up Boo!」の1曲だけが有名ですが、他にも素晴らしい曲が数多くあります。
ビートルズと同じリヴァプールの出身で、もともとはノイジーな轟音ギターサウンドに繊細なメロディをのせた、いわゆる「シューゲイザー」系のバンドでしたが、次第にダンスミュージックの要素なども取り込んで、深みのある音楽性へと進化していきました。
渋谷系は発見の宝庫
渋谷系とは何なのか、については詳しい記事がいろいろとあるのでそれを読んでいただくとして。
タワレコと渋谷と音楽の歴史〈80年代〉洋楽の大衆化…“渋谷系”の源流|長門芳郎インタビュー
タワレコと渋谷と音楽の歴史〈90年代〉増え出した情報量、セレクトに宿る自分らしさ|橋本徹インタビュー
ジャンルというよりは、当時の東京・渋谷にあった様々な要素や空気が組み合わさった動き(を後付けで総称したもの)で、音楽だけでは説明できない部分がきっと大きいのですが、九州のド田舎の学生だった自分にとっては、もう単純に「新鮮で面白い音楽を次々と発見できるムーブメント」でした。
特に過去の知る人ぞ知る名盤の「CD再発」やDJによる「発掘」的な要素がその背景にあったことから、もともとオールディーズ好きだった自分も全く知らなかった60~70年代の素晴らしい音楽が、新鮮な切り口で雑誌やラジオで紹介されるのが、とにかく宝探しのようで楽しかったのです。
当時、渋谷系と呼ばれたアーティストたちの中心的な位置にいたカヒミ・カリィがNHK-FMでやっていたラジオは、かかる曲は全部録音して曲名とアーティスト名を書き留めるくらいの勢いで毎週聴いていました。
同時代の海外のインディー・ポップなどもよく流れていたので、本当に発見が多く、素晴らしい番組でした。
そこからフレンチポップスやネオアコやソフトロックなどを知り、一気に好みの幅が広がっていきます。
ラジオのオープニングテーマは、セルジュ・ゲンスブールでした。
ディスクガイド中毒
最初の受験に失敗し浪人することになった私は、電車で1時間半かけて大分市の予備校に通う生活を1年間おくることになります。
大分市……そこには、田舎の音楽好きにとってはまさに憧れの聖地、「タワーレコード」がありました。
通学に1時間半かかるということは、何か読み物が必要です(単語帳でも見てろよという話ですが)。音楽雑誌も買っていましたが、小遣いには限りがある……しかしタワレコには「bounce」という無料の音楽雑誌がある! また様々なフリーペーパーや冊子やチラシもある!
そんなわけでとにかく文字情報を読むようになり、結果的に聴きたいものが増え続けます。
中でもハマったのが、bounceで特集されていた「サイケデリック・ロック」のディスクガイド。
もともとビートルズ好きだった頃から気になっていたジャンル(中期のビートルズはかなりサイケデリック路線)であり、60年代の元祖から80~90年代のシューゲイザー、インディーロック系まで網羅したセレクションで、それはそれはもう、全部聴きたい! という勢いで何度も目を通しては、気になるものを集めはじめました。
この手のジャンル別にまとめたディスクガイドにはその後も幾度とお世話になりました。当時のbounceは特にそういった特集が充実していた気がします。
ギターバンド時代
その頃には同時代の日本のバンドなども聴くようになり、好きでよく聴いていたのはコレクターズ、スピッツ、サニーデイ・サービスなど。そんな時にデビューしたのがスーパーカーで、彼らのファーストアルバムに大きな衝撃を受けます。
大学に入ったらギターを買って音楽サークルでバンドをやろう、と決めていました。最初にコピーしたのはスーパーカーでした。
全員楽器初心者で、ノイジーな轟音ギターポップ系のバンドをやり始め、やがてオリジナルに移行して数年活動しました。
次第に楽器を覚え、やれることが増えてくるにつれて、もともとの自分の趣味である60~70年代テイストのものや、渋谷系的なものを作りたい欲が出てきたため、バンドを解散し別ユニットを開始。自主制作でCD-Rのアルバムを作ったり、ライブイベントに参加したり。大学時代は本当に、音楽だけの暮らしをしていました(でもしっかり4年で卒業したので遊んでいたわけではないよ)。
プログレへのめざめ
プログレッシブ・ロック、略してプログレと呼ばれるジャンルも、もともと60~70年代の音楽が好きだった頃に知って気になっていましたが、本格的にハマるきっかけになったのが、当時NHK-FMで連日放送されたプログレの特集番組でした(サワサキヨシヒロ氏がナビゲーターで、ゲストを招いて毎回一つのバンドを特集するような内容)。
キング・クリムゾン、イエス、ソフト・マシーン、ノイ!などが取り上げられ、毎回面白かったのですが、中でも衝撃だったのが「個別に特集したもの以外のグループ」をまとめて紹介した最終回。そこで流れたのが、ジェントル・ジャイアントやヴァンダーグラーフ・ジェネレイターなどの通好みなバンドや、アレアやPFMなどのイタリアのバンド、フランスの大物MAGMA、そして英国カンタベリー系のハットフィールド&ザ・ノース。
どれも「こんな音楽があるのか!」と思わされるようなものばかりで、一気にプログレへとハマっていくことになります。
ここでもディスクガイド本が大いに役に立ち、「200CDプログレッシヴ・ロック」はまさに聖書です。
また、今やすっかりアイドル雑誌と化したMARQUEEでも当時はよくDJ的視点でのプログレ・セレクションみたいな特集が載っており、それを見て通販でCDを集めたりしていました。
キング・クリムゾンは別格ですが、どちらかというと英国のバンドよりフランス~イタリアのジャズロックor民謡系のバンドが好みです。
ソロアーティストではケヴィン・エアーズ。ケヴィン・エアーズとMAGMAは来日公演も観に行きました。
プログレのことはまた別記事でも書きたいと思います。
ブラジルからの新しい波
「bounce」ではワールド系の音楽もよく紹介されていたので、ブラジル音楽への興味は少なからずあり、いくつか有名作品を聴いたりもしていました。しかしまだ自分は、エレキギターを弾き、ロックをメインに聴いている人でした。
そんな時、当時付き合っていた人の部屋で偶然聴いたジョアン・ジルベルトの「Na Baixa Do Sapateiro」(何かのコンピレーションに入ってた73年の『3月の水』収録のバージョン)に、たいへんな衝撃を受けて、その後の音楽趣味が大きく変わることになります。
当時の自分にとってどこがどう衝撃的だったのか、今聴き返してもはっきりとは思い出せないのですが、とにかく「これだ」という気分になり、すぐにガットギター(ブラジル音楽で使うナイロン弦のクラシックギター)を買いに行き、ボサノヴァの練習を始めました。
ジョアン・ジルベルトのボサノヴァは、一言でいうならばサンバの躍動するリズムと複雑で繊細な和音と歌心を、ギター一本で再現してしまうスタイルです。
「Na Baixa Do Sapateiro」は、ギターの他にリズムを刻むハイハットのみで録音されたインストゥルメンタルで、とにかくミニマルなアレンジ。
研ぎ澄まされた音だけがそこにある、という感じのシンプルさで、それでいて豊かな和音の色彩と、空間を包み込むような残響。「これだ」と思いました。
そこからはもう、ひたすらブラジル音楽の深みへとハマっていく日々。
まずはそのジョアン・ジルベルトの『3月の水』を手始めに、ボサノヴァ名盤シリーズを買い集め、月刊ラティーナを読み始め、気付けばロックバンドをやめてガットギターばかり弾いている人になっていました。
第2の衝撃は、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)。
カエターノはジョアンのボサノヴァに影響を受けたところからスタートし、英米のロックやブラジルの様々な伝統音楽なども取り入れて新たな音楽ムーブメントを巻き起こしたり、前衛的な実験音楽を聞かせる一方で甘い歌声で大ヒット曲も生み出すような、もうそれはそれは凄い、ブラジルを代表する偉大なシンガーソングライターです。
聴けば聴くほど、知れば知るほどに発見があり、そして視野が広がる、それがカエターノの音楽です。
カエターノの作品を追うことで、他の様々なブラジルの音楽やアーティスト、言葉や文化を知っていきました。
好きなことで生きていく?
大学を卒業して某全国チェーンのCDショップで働くことになり、ここでまた聴く音楽の幅が広がることになります。
音楽好きな人にとって、CDショップで働くといえば、「好きなことを仕事にできて楽しそう」というイメージを持つ人もいるかもしれません。
もちろんその通りなのですが、一方で現実は、個人経営の専門店でもない限り、身も蓋もない言い方をすると「好きなもの以外も売らないといけない」仕事でもあります。
好きなアーティストの新譜が出たので全力で推したいけど売れる見込みがないものは在庫として置けない……とか、逆に特に好きでもない、よく知らないアーティストを全力で推さねばならない場面も多々あります。
それを乗り切るための方法の一つが、「なんでも」好きになることでした。
私は二つの店舗で主に洋楽全般とジャズ、ワールド、クラシックの売り場を担当しましたが、よく知らないものはとりあえず聴いて、推せるポイントと楽しみ方を見つけていく。
それを繰り返しているうちに、気づけば「なんでも」楽しめる耳になっていました。
もちろん好みの差はあるのですが、食わず嫌いをしなくなるので、好きなものが圧倒的に増えます。それは単純に楽しみが増えるということなので、この方法はおすすめです。
ダンスホールレゲエやHIPHOPを楽しめるようになったのもこの頃から。
それ以外でも、最初に入ったお店では、ブラジル滞在経験のある先輩社員の人がいていろいろ教えてもらったり、社販が利用できたので欲しい輸入盤などを自分で取り寄せて買えたり、ラジオ局の隣だったので、たまにゲストでやってきた有名アーティストに会えたり……給料は安くても、楽しく働ける環境でした。
地中海ブーム
自分がCDショップにいた頃のワールド売り場での流行の一つに「地中海沿岸地域の音楽」があります。スペインのバルセロナから登場したオホス・デ・ブルッホなどフラメンコ・ミクスチャー的なバンドや、南仏オクシタニー地域の音楽などが注目を集め、国内盤でリリースされたりして盛り上がりを見せました。
地中海音楽は前述したプログレにおいてもイタリアのバンドなどが作品に取り入れることも多かったことから、個人的にももともと興味があった分野で、かなりハマっていろいろ聴きました。
そこからモロッコのグナワや、アルジェリアのフォーク歌手スアド・マッシなど、北アフリカの音楽も知っていくことになります。
ジャズとコルトレーン
本格的にジャズを聴き始めたのも売り場を担当することになったのがきっかけです。
当時はブルーノートなどの名盤がまとめて1,500円シリーズで再発されたりし始めた頃で、一から学んでいくには良いタイミングでした。
様々な名盤・定番をレンタルなども使って聴いていった結果、ジョン・コルトレーンにハマりました。
プログレの項で前述したフランスのジャズロックバンド MAGMAが、コルトレーンに非常に大きな影響を受けていることもあり、入りやすかったのもポイント。単にジャンルとしてのジャズ、というよりは「人間力!」みたいな音楽です。
韓流と華流
また、当時は「冬のソナタ」から始まった韓流ブームの真っただ中。問い合わせや輸入盤OSTの取り寄せなどを行っているうちに、韓国ポップス(当時はまだ今ほど「K-POP」という言葉は浸透してなかった記憶)にもハマってしまい、それが今現在の趣味にもつながっています。
当時好きだったのは、イ・スヨン、イ・ジョンヒョン、KOYOTEなど。あとはバンド系でLoveholic。
それに続いて、ドラマ「流星花園」をきっかけにした台湾の「華流」ブームというのもありました。台湾ポップスのコンピレーションが発売されたりして、ジョリン・ツァイ(蔡依林)とジェイ・チョウ(周杰倫)の存在を知り、ここからまたアジアのポップスへの興味が広がっていくことになります。
蔡依林 Jolin Tsai – 說愛你 – YouTube
周杰倫 Jay Chou【忍者 Ninja】Official MV – YouTube
アイドルの夜明け
いろいろあって、いよいよCD時代の終わりを感じたため、転職を決意。CDショップを離れ、IT系の会社で働き始めます。
ここではアニメなどいわゆる二次元オタク系の同僚も多かったため、アニソンのイベントに誘われて行ったりする機会もあり、これまた未知なる異文化との遭遇でした。
「ハレ晴レユカイ」と「もってけ!セーラーふく」を初めて聴いた時の衝撃といったら! アニソンは現代日本でしか生み出せないある種のハイパーエキゾ音楽という感じもして、とても興味深いものでした。
また、Perfumeをきっかけとして日本のアイドルも楽しむようになります。
もともと大学時代にはモーニング娘。が大ヒットしており、よく聴いていました(バンドでカバーしてました……笑)。CDショップ時代にはBON-BON BLANCOという、なんとラテンパーカッションを叩きながら歌い踊る衝撃的なアイドルグループがいて、CDを集めたりもしていたので、Perfumeで「アイドルに目覚めた」というわけではないのですが、とにかくそれまでにない新しさを感じました。
Perfumeに続いて、洋楽ロック的なサウンドが新鮮だったBuono!を好きになり、そして「大声ダイヤモンド」でとうとうAKB48の面白さを知ってしまいます。
まさにちょうどAKBの人気が物凄い勢いで拡大していくタイミングだったので、動向を眺めているだけでも楽しいものでしたが、やがて握手会やライブなどにも足を運ぶようになり。
さらには、ももいろクローバーやでんぱ組.inc、BiSなど、他にも次々と面白いグループが登場してきて、気づけばすっかり世の中アイドルブーム。全国各地にご当地アイドルが誕生し、音楽的にもどんどん多様化していき、アイドルシーンを追っているだけで面白い、という状況が生まれていました。
この辺の話もまた別で詳しく書きたいところ。
その後、好きだったグループが解散したり、推してたメンバーが卒業したりが続いて、自分の中でのアイドルブームは次第に沈静化していくのですが、最近でも夏の大きなフェスや好きなグループのワンマンライブなどはたまに観に行くことがあります。
最近好きなグループは、つりビット、虹のコンキスタドール、まねきケチャ、フィロソフィーのダンス、など。ボーカルの個性が作品に活かされているものが好みです。
K-POPの広がり
冬ソナ韓流ブームの頃の韓国ポップスのイメージは、自分の中ではやはりどこか懐かしい感じであったり、異文化の面白さに触れる感覚で聴いていたようなところがありました。
その後、CDショップを離れてから、しばらくあまり韓国のシーンをチェックしなくなっていたある日のこと、タワーレコードの雑誌売り場で見かけたミュージックマガジンがK-POPの大特集。「久しぶりにチェックしてみよう」と思って買って帰り、載っていたものをネットで調べて聴き始め……「うわ、まじか」。
もはやK-POPは、普通に「最新のカッコイイ音」として聴けるものに進化していたのでした。
なんといっても少女時代のセカンドアルバム『Oh!』が超衝撃的で、数年ぶりに韓国盤のCDを店頭に買いに行ったことを覚えています。
それ以降、完全に国外マーケット戦略を進め始めたK-POPの広がりを様々な場面で実感するようになりました。
タイのプーケットに行った際に、クラブでジャスティン・ビーバーやシャキーラに交じって2NE1の「FIRE」が流れ出し、フロアは大盛り上がり。
日本でも完全にK-POPの後追い的なコンセプトのアイドルが出てきたりして……いよいよ逆転していくのか、と思わされたりもしました。
ただ、その頃の自分は日本のアイドルのほうで忙しかった()ので、K-POPはあくまで音楽のみを聴いていたような感じです(だからメンバー名とか当時は全然知らず)。
それが数年後、2014年以降次々と登場してきたさらなる次世代のガールズグループが、またどれもこれも面白くて、音楽的にもビジュアル的にも多彩になっていて、これはもう本気でハマるしかないだろう、ということで、気付いたらMUMUMAGというサイトでK-POP記事ばかり書くようになっていた……という流れ。
好きなグループはMUMUMAG読者の方には記事の気合の入れようでバレてそうですが、最近はやっぱり「今月の少女(LOOΠΔ)」です。あとは普通にTWICE、BLACKPINK、Red Velvet、OH MY GIRLなど。
実際のところは、特定グループに限らずシーン全体が面白いので、ボーイズグループやソロ歌手も含めて目立つものはとりあえずチェックしてるような感じです。アイドル以外だと「頬赤い思春期」が良すぎます。
また、「作曲家聴き」や「プロデューサー聴き」が出来るのも今のK-POPの面白いところ。
国内外の個性豊かな作家たちがいろんなグループに曲提供しており、コライト(共作)も多い、という状況なので、気に入った作曲家を見つけてそこから広げて聴いていくのも楽しいと思います。
モダンエイジア
子供時代にディック・リーで東南アジアの音楽と出会い「ラサ・サヤン」(=インドネシアの民謡)などを普通に聴いていた自分が、時を経てAKB48グループにハマったらどうなるか?
当然、インドネシアの「JKT48」が気になり始め、いろいろ調べるようになり、ついでに今現在のインドネシアや周辺諸国の音楽シーンにも興味が湧いてきて……そんな流れで、自分の中で何度目かのアジアン・ポップ・ブームが巻き起こったのが数年前。
インドネシアのダンドゥットやタイのルークトゥンなどの現地の歌謡曲的なものから、ヒットチャートに上がってくるようなメジャーなポップス、おしゃれなアコースティックポップやインディーズ系まで、いろいろと探っていくとやっぱりもう昔とは大違いで、グローバルレベルに洗練された高品質なサウンドが普通に各国に存在しているのでした。
その一方で、その土地ならではの、独自の文化や伝統を取り入れたものがしっかり生み出されていることを知れるのも、様々な国の音楽を聴き巡る醍醐味だといえるでしょう。
アジアの音楽シーンはまだまだこれから国境も越えた横の繋がりも増えて、もっともっと面白くなっていくはずなので、見逃さないようしっかり追っていきたいところです。
まとめ
長くなりましたが、特に好きなジャンルとそれにハマった経緯をまとめるとこんな感じです。
こうしてあらためて見てみると、何が好きとか以上に、「まだ聴いたことがない音楽を聴きたい」という部分が一番大きいのかもしれません。
これからは「どんな音楽が好き?」と聞かれたら「まだ聴いたことがない音楽」と答えるようにしましょうか(完全に意味不明なのでやめましょう)。
世界には知らない音楽がまだまだ無限にあります。楽しみは尽きませんね!